ザッハリッヒ 蚕の記録

気まぐれお絵描き屋さん、蚕(かいこ)の記録です。作品について、日常のこと、過牛歩で。

また無粋なこと、もやもや

いいなーと思う作品に触れると、また、こういう、アレなことも考える。
このごろ「アート」というものが、なんだかよくわからなくて、わかる必要もないのかもしれないけれど、
だけど中途半端に絵を描いたりしている自分、決して遠くないところで、そういう話をわやわやとしている人たちがいて、どうしても耳に入ってくる。そうすると、もやもやして、うまく飲み込めなくて、妙な焦燥感だとか、虚しい気持ちに襲われたりして、
最近ちょっとした「持論コンプレックス」感じる。
「こうあるべき!」「そういうの嫌!」というような、だれかの好き嫌い論みたいのを聴いていると、自分はそんなとこまで考えたことがないなあ、だめなのかなあ、とか、勝手に落ち込んだりしてしまう。
わたしもときどき気が高ぶって、自分のだいじなものについて語りたくなるときもあるので、「だれかに言葉で伝えたい」という気持ちはわかるのだけど、他人のスタンスにまで難癖つけてくるような持論?そもそもこれ持論っていうのかな、ただの批評?なのかもしれないけれど、そういうのが、苦手だ・・!
「評論家」とかってのも、よくわからん人種だしなあ。こわいよー。
直接自分に向けられた批判だけでなくて、だれかが、だれかのことを、否定的に語ってるのも、聴いていてドキドキする。
最近ほんとうにびくびくしているなあ。わたしはこんなに臆病だったか?


「こう評価されたい」という期待は、だれしも抱いていることなのだろうけれど、そういう期待はなんだかとても不純なものな気がして、
自分はなるべく純なものになっていきたいので、あれこれ気に病んで落ち込む、などということは、じつに、無駄で、無意味で、無粋で・・
よけいな心配事は、どんどん、振り払っていきたいものだなあ。


なんかこういうのも、今は「記録しておこう」とか思って書いてるけれど、ひとたび、他人様の目に触れるところに書いちゃってる、っていうのを意識しだすと、またぞわぞわ、おそろしくなってくるな。
それもある意味、なにかを期待してるんだろうな。やだやだ。


はずかしいことばかり!
シンプルさが足りないわたしです!