ザッハリッヒ 蚕の記録

気まぐれお絵描き屋さん、蚕(かいこ)の記録です。作品について、日常のこと、過牛歩で。

帰るおうちを探してる

・BPD ( Borderline Personality Disorder )
 かつては、神経症よりは重いが統合失調症よりは軽い、境界(ボーダーライン)の症状という意味で「境界例」と呼ばれていたが、1980年に米国精神医学会が、これは病気でも精神病でも神経症でもない、パーソナリティ上の問題であるという診断基準を示し、その後もボーダーラインという名称だけが残り、ボーダーライン・パーソナリティ・ディスオーダー(境界性人格障害)と改められた。
 よく誤解されるのが、BPDの特徴のひとつに「自分と他者との境界線がわからない」というものがあるものの、ここでいう「境界線」と境界性人格障害という診断名との間に関連性は無い。
 障害の診断基準には、18歳以上で日常の生活に支障をきたしていることがあるため、18歳未満である、あるいは社会的生活を送ることが困難とは認められない場合は、単に Borderline Personality Organization (境界型人格傾向)と呼ばれる。

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星野仁彦 巻末インタヴュー 285P〜 


星野
 原因の大きなひとつは、はっきりしています。これはもう例外なくいえることで、確実といってもいいでしょう。機能不全家族のもとで育てられている──そしてここで、多かれ少なかれ虐待を受けて育ったということです。
 虐待と一言で言ってもいろいろあります。ふつう虐待というと、身体的な虐待や性的虐待を指すことが多い。しかしこれは、本来はもっと広いんです。情緒的虐待もこれに含まれます。そして、いちばん大変なのは、無視──ネグレクトと呼ばれるものです。
 主に母親についていうと、子どもの前では決して暴力も暴言もふるわないが、いつも不幸な母親像を見せている、というのもひとつの虐待なんですね。
 だから、パラドックスでいうと、 BPD の人間をつくり出そうとすれば簡単なわけで、子どもが小さいころからずっと、不幸せなお母さんになればいいのです。できるだけ子どもの目の前で夫婦げんかをしたり、くらーい落ち込んだ顔で過ごせばいいのです。そして話すことといえば、「あー。あんな男と結婚しなければよかった。わたしの結婚は失敗だった。舅、姑にもいじめられてばかりだし、夫は酒ばかり飲んで、そのたびに、わたしの愛情が足りないからだと叱られて。ああ、こんな家にお嫁にこなければよかった……」と、いつも。
 それから、あんただけはこんな結婚は絶対しないように、女の幸せは男しだいと、できるかぎり不幸な顔をして、いつもいつも家じゅうの者の悪口を言っていれば、子どもはBPDになれる。


佐藤
 きょうのインタヴューのなかで、「母親は、我が子を BPD の傾向のある子どもに育てないためにはどのような子育てをすればいいのか」を訊きたいと思っていたのですが、今話してもらったことの反対が、その答えとなるわけですね。


星野
 そうです。お母さんがまず幸せに、ということです。
 はっきりいって、子どものことはあまりかまってあげなくてもいい。そのかわり、お母さんは幸せよ、お父さんが大好き。お父さんもおなじ気持ち。舅、姑がきついことを言うことがあっても、お父さんはいつも守ってくれるのよ、ということを伝えてあげて。
 お父さんのほうは、「親父やお袋の言うことは気にするなよ。なにがあっても、最後まできみのことは僕が守ってやるから」と言ってあげて。また、舅、姑の前では、「ぼくのだいじな妻をいじめないでくれ。もし、それでも愛する妻を責めるのなら、ぼくたちはこの家を出ていくから」と言ってあげれば、それでいいんですよ。


佐藤
 分離・固体化と呼ばれる子どもの発達の初期の段階において、安定した精神状態の母親のもとで、子どもが基本的な不安や恐怖を順調に乗り越えていかれることが大切なわけですね。そしてそれができなければ、その後の成長の段階でも、この不安感がずっと持続されていくのでしょうね。


星野
 そうですね。いろんな問題を抱えている家庭があります。機能不全、虐待、夫婦間の問題などなど。百人百様の機能不全家族があるわけですが、ひとつだけ共通するものがある。0歳から5歳ぐらいの幼い子どもにとって必要なのは何だと思いますか? これは、 BPD 、摂食障害不登校など──つまり心の病全体に共通するものです。


佐藤
 安心感、ですか?


星野
 そう、安心感。──それがない、ということが問題なんです。お母さんとの関係で安心感がないということが、すべてに共通するものなのです。
 お母さんというのは、生まれて初めて出会う人間なんですよ。とくに0歳から5歳ぐらいの子どもにとっては、お母さんがすべて。お母さんの一挙一動がすべての世界です。
 お母さんとの関係で安心感がもてないから、思春期になっても、その後も、ずっと安心感がもてない。友だちが出来ても、恋人をつくっても、どこか不安。いつか自分から去っていってしまうのではないか、見捨てられるのではないか、と。安心感のない家庭では、子どもの基本的な信頼感が育ちにくいということです。


佐藤
 たしかにそうですね。母親というのは、いちばん最初に肌身で感じて繋がる人間関係の人ですよね。そこでの関係がトータルに育っていたなら、その後の時期に多少の失敗や不信があっても、きっと大きな問題とはならずに、自力で克服して、安定した人間関係を築き直せるのでしょうね。逆に、そこでの絆が弱いと、その時期の課題の未解決をずっと大人になっても引きずっていくことになるわけですね。


星野
 幼児期に不安や不信感が克服できていないと、その後遺症は思春期にやってくるのです。不思議だと思いませんか?
 幼児期と思春期のあいだの学童期、ギャングエイジとも言いますが──男の子は男の子どうし、女の子は女の子どうしでつきあう時期──この時期のことを潜伏期というんです。心の不安や葛藤までがみんな見えないところに潜んでしまうです。
 学童期というのは、人間の一生のうちでいちばん心も体も安定した時期なんです。いちばん死なない時期。体の病気にも心の病気にも、最もなりにくい。
 それが思春期になると一気に情動の不安定性が出てくる。女の子に多いのが、摂食障害、性非行、 BPD など、男の子は犯罪や暴力やパラフィリア(なかでも小児性愛)などの問題が起こる場合があります。
 これは例外なくいえることですが、 BPD の人で、子どもの頃から穏やかで暖かい家庭で育ったという人を、私は知りません。


佐藤
 逆にいうと、例え貧しかったとしても、子どもの頃に親の穏やかで安定した感情に満ちた家庭環境で育っていれば、その後の思春期や大人になってからも、困難を乗り越えやすいということですよね。


星野
 そうです。そのためにも、まずお母さんが幸せであることがいちばん大切なんです。
 では、そのお母さんの幸せを最も支えられるのは誰でしょうか?


佐藤
 夫ですよね、ふつうは。


星野
 そうです、妻を幸せにするのも不幸せにするのも、夫の力は大です。舅、姑が多少いじわるでもかまわないんです。夫がきちんと守ってあげられれば、妻は幸せになれる。


佐藤
 これからは、子どもの問題行動が起こってきたら、夫から妻へ「おまえの育て方が悪いからこうなったじゃないか!」ではなく、妻から夫へ「あなたの愛し方が足りないとこの子がグレてしまう!」となってくるわけですね。
 たしかに、自分をしっかり愛してくれている人がそばについていると思えば大人だって安心できる。子どもが不登校になりました、お友だちを殴ってしまいました、万引きしてしまいましたとか、いろいろ問題行動を起こしたとしても、夫の大きな愛情があれば、母親はおろおろすることなく落ち着いて安定した対応ができると思います。


星野
 そうなんです、お母さんの安定が大事なんですね。
 とくに BPD や摂食障害になるような人達は、小さい頃から非常に敏感なんですね。お母さんの一挙一動をほんとうによく見ていますからね。お母さんが暗い顔をしていたり、いらいらしていたりすると、すぐに察しますね。
 ただ、素質という要因もあり、かなり劣悪な環境で育っていてもそうはならない人達もいます。


佐藤
 そういえば昔はよく、ひどい暴力夫のもとで妻がひとり苦労して働きづめで、五人、六人の子どもを育て上げた、とかいう話を聞くこともありましたよね。それもどの子もグレずに母を助けて立派に育った、なんていう美談を。


星野
 その点では、自我の脆弱性の問題があると思うのです。自我の強い子、自己主張のたくみな子は大丈夫ですね。小さい頃から、親にひと言注意されれば、二言も三言も言い返すような子は BPD になりにくい。
 不登校摂食障害、 BPD になるような人達には、小さい頃から自分のことを表現しないような自我の未熟な子──親の目線から見れば「従順で素直な良い子」が多いですね。


佐藤
 虐待を今やっている親が心に問題をかかえており、その渦中にある子どもが、もちろん心に問題をかかえつつあり、その子に将来育てられる子どもが次に問題をかかえていく──という、多くのパーソナリティ障害を生み出していく可能性が見えてくる。


星野
 そうです。虐待は、親から子、子から孫へと受け継がれていくという世代間伝播を生み出しますからね。そのほかにも、男性によく見られる小児性愛、窃視症(のぞき・盗撮)、窃触症(痴漢)、 SM などのパラフィリアは、虐待から育つと言われています。


佐藤
 種を残すという自然の合理性から考えると、パラフィリアは本来的ではないですよね。これは生物学的にも問題ですね。


星野
 男ならパラフィリアや反社会性、女なら性非行や摂食障害や BPD などの、パーソナリティ障害を大量生産しているマイナスの社会状況があるわけです。
 今テレビやマスコミではさかんに「虐待はいけない」と言いますが、ほんとうは「なぜ虐待がいけないのか」を言わなくてはいけないのです。
 「子どもがかわいそうだから」というだけでは説得力もないし不十分です。我々精神科医の立場からいうと、虐待は、パーソナリティ障害などの心の病を持つ人々を大量生産することになるのです。そう説明すると、虐待の深刻さや社会における重大性がもっと理解されると思います。


佐藤
 きちんとした説明で食い止めていかないと、世代間で連鎖していつまでも増えていきますよね。


星野
 虐待のなかでもいちばんひどいのはネグレクト、無視されることです。身体的な虐待のほうがネグレクトよりもまだ救いがある。子どもがいくら泣こうがわめこうが、何もしてもらえずに放っておかれる、そうした状態の中で育つと子どもはどうなると思いますか?


佐藤
 何か欲求が生まれても、いつもいつも無視されていたら、そのうちしだいにそれを訴える気力さえ無くなってくるのでは?


星野
 そして、まったく無表情になってくる。いちばん重いのはネグレクトと性的虐待を受けた子どもです。こういう子どもはいろんな心の病を生み出していくことが非常に多くなります。

やっぱりな。
そうなんだろうなって思ってた。
お母さんの安定なんて、わたしのおうちにはなかった。